御由来
当社の元の鎮座地は、京都河原町にあった土佐藩主山内公の邸内にあり、『土佐稲荷』と呼ばれて尊び崇められていました。
安政元年にイギリス船が相模国(現在の神奈川県)浦賀へ来航した際に山内豊資公は武運長久の御祈祷を行い、次いで元治元年には豊信【容堂】公が国家安全と武運長久の御祈祷を、明治元年の伏見の戦役に際しては豊範公が官軍(新政府軍)戦勝の御祈祷を行っています。
この御祈祷は3回共に著しく霊験を顕したため、豊資公は絵馬一面を、豊信公は自筆の額三面を奉納(現在も当社に保存)し、豊範公は荘厳なる祭典を行って祈祷成就に感謝の意を表されています。
明治維新後、山内公が京都河原町の邸宅を譲られることとなり、明治11年5月13日に高知市北奉公人町川岸端へと移し祀った後、一時は高知市升形の出雲大社土佐分祀の境内で祀られていたものを、現在地へと移し祀ったものです。
昭和に入ってからは『帯屋町稲荷神社』と呼ばれて帯屋町筋の商店街を守護してきました。昭和28~29年頃「高知の街に人を呼び集めることのできる何かをしよう」と、高知商工会議所と商店街のメンバーが当社の集会所にて会議を重ね、「よさこい祭り」が誕生。平成11年に初のよさこい祭り全国大会が開催されるにあたり、昭和29年8月10日のよさこい踊り出発地点(誕生の地)に鎮座する当社をよさこい祭りに最も縁の深い神社と奉じて、通称を『よさこい稲荷神社』とし(正式名称は稲荷神社)、商売繁昌・和合壮健・技芸上達・立身出世・魔除けの神様として現在まで崇められています。
御祭神
当社の主祭神は、京都府稲荷山に鎮座する伏見稲荷大社の御祭神の流れを汲む次の三柱の大神です。
【 主 祭 神 】
・宇賀魂神 ( うかのみたまのかみ )
稲の神霊、五穀の守護神。この神のお使いをするのが神狐達とされる
・大宮能賣神( おおみやのめのかみ )
音楽舞踏の神。意思疎通の障害を取り除く結びの神
・猿田彦神 ( さるたひこのかみ )
交通安全と破邪の神、俳優、技芸の神
また、相殿神は次の神等が祀られています。
【 相 殿 神 】
・春冨神( はるとみのかみ )
未詳。神占、防火、禁厭の神とされ、京都の土地神と思われる
・春吉神( はるよしのかみ )
未詳。神占、防火、禁厭の神とされ、京都の土地神と思われる
・玉継神( たまつぎのかみ )
未詳。魂と魂をつなぐ神。精神・伝統を次世代へ伝えるとされる
・石榮神( いわさかのかみ )
大坂城の石垣を寄代にして、海上安全・城内安全・石工守護を祈念した
・豊川神( とよかわのかみ )
未詳。三菱で活躍した豊川家(岩﨑家親族)の先祖神と思われる
・河内神( かわうちのかみ )
未詳。元は高知市鏡村竹奈路地区の氏神。清祓の水神であり神楽の神とされる
この大神達は、皇室の安泰・国家の繁栄を始めとして、衣食住・土地農産・航海貿易や陸上道路の安全、芸能音楽・商工業から、一家親族・知己朋友・恋愛交際に関する相互和合の福利に至るまで全てを守護する大神として、人々から厚い信仰を集めています。
よさこい稲荷神社にまつわる話
◆京都河原町から高知市北奉公人町、更に升形から帯屋町へと遷座をなさる度に御社が立派になっていくことと、人間の栄転が似ていることが出世の縁起を呼び、三菱の創業者・岩﨑彌太郎氏も篤く信仰していました。
◆もともと京都の土佐藩邸に奉斎されていた頃は、親が出来の悪い跡継ぎに世渡りの力を授かるようにと信仰され、参拝する者は子孫にも影響すると考えられていました。
◆昭和40年頃まで、本物の狐が棲み付いていました。高知市内に野生の狐が珍しかったことと、稲荷神社の床下に巣を作るという奇妙さから神様の御使いと思われており、参拝者の中には拝んだりお供えをする方が数多くいました。
御神宝・一対の大鳴子
この大鳴子は、よさこい祭りが全国へと拡がったことを稲荷神社の大神の御守護によるものと感謝し、又 先達の甚大なる熱意や苦労に敬意の念を表すると共に、益々の祭りの繁栄、万人の和合壮健、商店街の文化・歴史の継承と発展を祈願し、
よさこい祭り出発地点(誕生の地)に鎮座する当社に土佐名産で樹齢300年の魚梁瀬杉より切り出し土佐伝統の古代塗りを施したもので、平成11年のよさこい祭り45周年(初の全国大会開催)にあたって協同組合 帯屋町筋より奉献されたものです。
境内案内
高知市帯屋町高知大神宮大鳥居から参道に沿って進むと、左手に赤い社殿のよさこい稲荷神社が鎮座しています。
◆北面の追手筋(日曜市を行っている筋)側からは入れません。南面に回って金の大鳥居からお入りください。
◆大鳥居をくぐって直進すると月極駐車場になっていますので、御参拝の方は大鳥居をくぐって左折、砂利のところへ車両を停めて下さい。
※駐車台数には限りがあるため、満車の場合は近隣の有料駐車場をご利用ください。